伽羅通信

鎌倉十三仏巡り 二番札所 浄妙寺

古都・鎌倉から始まった禅の茶を満喫

鎌倉から路線バスで金沢八景方面へ約15分。浄明寺バス停で下車すると、鎌倉最古の杉本寺や、滑川対岸の報国寺が、こちらにどうぞと誘いかけてきます。どちらも心ひかれるお寺なのですが、今日の目的は「浄妙寺」。鎌倉五山の禅刹で、十三仏巡拝では第二番札所(釈迦如来 初江王)にあたり、四季折々に美しい花の寺としても広く知られています。早春の一日、特別公開される本堂でのご住職の講話と、鎌倉が発祥となった禅の抹茶を楽しみに山門をくぐりました。

鎌倉十三仏霊場 二番札所 浄妙寺 ※写真の転載不可。
写真は2月に撮影しました。

頼朝一家があつく帰依した行勇律師

梅の香りが山門に立ちこめる

梅の香りが山門に立ちこめる

本堂の大屋根が圧巻

本堂の大屋根が圧巻

山門から真っ直ぐ伸びる参道の両側は、手入れの行き届いた梅林です。紅梅や白梅、ロウ梅が、やわらかな色彩で春の訪れを告げ、花びらの間を、くりっとした目のメジロたちが飛びかっていました。足元には可憐な福寿草。歩を進めると、裏山のシルエットと調和した本堂の大屋根が、早春の空に青磁色の柔らかなカーブを描いていました。本堂に招じられ、ご本尊に合掌。禅宗らしく飾り気のない清楚な堂内で、柔和な表情のご住職のお話を伺いました。ここ浄妙寺は、源頼朝の忠臣・足利義兼が文治4年(1189年)に創建。開山の退耕行勇(たいこうぎょうゆう)は、栄西禅師の門下で臨済禅を修め、頼朝や政子、実朝もあつく帰依。栄西没後は寿福寺二世に任じられた高僧です。寺名は当初、極楽寺(密教寺院)でしたが、建長寺開山の蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)の弟子、月峯了然(げっぽうりょうねん)が住職となって禅刹に改め、浄妙寺と称するようになりました。ご住職から800年を越える寺の変遷をお聞きしているうちに、ふと、寺の前を流れる滑川で起きた、とある史話を思い出しました。

刀槍を算木にもちかえた鎌倉武士たち

庭ごしらえも見事な境内

庭ごしらえも見事な境内

武士達が政権を奪った中世鎌倉は、田畑の開墾が進み商取引も活性化。社会全体が沸き立つような時代でした。頼朝の死去(1199年)から半世紀以上たった北条執権時代のこと。幕府吏僚の青砥藤綱が、夜間、滑川に掛かる橋を渡っているとき、十文の銅貨を落としてしまったのです。あわてた藤綱は五十文で松明を購入し、川底を照らして無事さがしあてました。世間は、差し引き四十文の損ではないかと笑いましたが、「四十文の損は個人の経済。川に十文を失うのは天下の損失」と諭したそうです。浄妙寺の禅僧がその噂を聞いたとしたら、藤綱の処置を「さもありなん」と言下に肯定したに違いありません、滑川に落としたのは、はるばる中国・宋から輸入しなければならなかった貴重な宋銭だったからです。北条執権期ともなると、武家たちも武勇一点張りでは許されず、時に刀槍を算木(ソロバン以前の計算尺)に持ちかえてでも、国内外の経済に目配りしなければならない社会に成熟していたのです。鎌倉人にとって先進国・宋は、貨幣のみならず、宗教、建築、医療、美術工芸など、すべての面で圧倒的な影響力を持つ国でした。その、あこがれの文明国を知りつくした禅僧たちの存在感は、現在では想像もできないほどに巨大だったことでしょう。

陰影礼讃—座敷で喫した一椀の抹茶。

喜泉庵へ続く小径

喜泉庵へ続く小径

神妙に不思議な響きに聞き入る

神妙に不思議な響きに聞き入る

本堂を辞し、隣接した茶室「喜泉庵」に立寄りました。 無用の照明を排した自然光だけの座敷。端座し、杉木立からこぼれる陽光が、緑苔に映える枯山水を眺めながらゆっくり頂いた抹茶のおいしかったこと。栄西禅師がはじめて宋の茶を伝えたときは、禅宗の茶礼であり薬用とされ、茶自体もそれまでの団茶(だんちゃ)ではなく抹茶で、茶筅(ちゃせん)でかきまぜて飲用しました。禅師は病弱だった三代将軍に「喫茶養生記」を献じ、その頃から喫茶が武家社会に広まりました。しばし、中世鎌倉に思いをはせていると、席を立った学生たちが濡れ縁で、長い猛宗竹に耳を押当て神妙な面持ちをしています。それは、庭の手水鉢に落ちる水滴を、長い竹筒に反響させる水琴窟(すいきんくつ)でした。交代してもらい、なんとものびやかで、どこかユーモラスな響きを体感しました。わずか一時間余りでしたが、茶室では無心に心あらわれるひとときを堪能。帰途、梅園を過ぎるとき、朝は気付かなかった梅たちの、ほのかに甘い香りを聞くことができました。きっと、半日足らずとはいえ、禅刹浄妙寺に滞在し、茶を喫したことで、せわしない日常生活で心の奥にたまっていた澱や、昨夜の酒精が、きれいさっぱり洗い流されたのですね。

日本の伝統文化の美しき三姉妹

細部まで行き届いた心配り

細部まで行き届いた心配り

美しい静謐な世界にひととき浸れる

美しい静謐な世界にひととき浸れる

帰宅して文献を読んでいると、茶道と華道、香道にはいくつもの共通点があることに気づきました。
鎌倉時代に、栄西や道元が宋から薬用として持ち帰った抹茶が、禅宗の広まりと共に精神修養の意を強め、室町期のわび茶を経て、安土桃山期に千利休によって茶道に集大成されたこと。「華道」もまた、仏に花を献じる供花を源とし、室町期に京都六角堂の池のほとりに居住していた僧侶たちが発祥とされています。「香道」も、仏教儀式に使われた香木が原点で、やがて香りを鑑賞する聞香や、香りを聞き分ける組香として体系化。室町期に香道として大成されました。つまり日本が世界に誇る三つの伝統文化は、いずれも仏教を母胎として、鎌倉・室町から織豊時代にかけて誕生した、美しい三人姉妹だったのですね。今回の浄妙寺への小さな旅では、鎌倉人が後世に残してくれた、とても素敵な文化遺産を心の糧としてもちかえることができました。

浄妙寺(じょうみょうじ)

住所

〒248-0003
神奈川県鎌倉市浄明寺3-8-31

電話番号

0467-22-2818

拝観時間

午前9時00分~午後4時30分

拝観料

100円(小学生50円)

茶室「喜泉庵」

天正年間(1500年代)に禅僧たちが一同に茶を喫した建物を再興した茶室。
電話番号 0467-22-8638
抹茶と干菓子 500円
営業時間
夏…午前10時~午後4時30分 閉庵
冬…午前10時~午後4時 閉庵

アクセス

鎌倉駅から京急バス「鎌23」鎌倉霊園正門前太刀洗行き、
「鎌24」金沢八景駅行き乗車。「浄明寺」下車徒歩約2分

詳細

鎌倉五山第五位の古刹。臨済宗建長寺派。1188年、足利義兼(よしかね)創建。開山は退耕行勇。当初は密教(真言宗)寺院で極楽寺と称し、1257~59年頃に禅宗の浄妙寺に。至徳3年(1386年)室町将軍・足利義満が五山の制度を定めた頃は七堂伽藍が完備、塔頭23院を数える大寺院でしたが、火災などのために衰退。現在は総門、本堂、客殿、庫裡だけで伽藍を形成。境内は国の指定史跡となっています。

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