伽羅通信

鎌倉十三仏巡り 五番札所 円応寺

忿怒の閻魔王におもわず息をのむ

天上の極楽か、地獄に落ちるか?鎌倉人たちが腹の底から恐れていたのは、死後の冥界で生前の所業の善悪が厳しく裁かれること。今回は、冥界の裁判官・十王が勢ぞろいしている五番札所の「円応寺」を訪ねました。ご本尊は泣く子も黙る閻魔王。それにしてもなぜ、十王たちは名前も表情も仏様らしくないのか?ご住職の講話を聞くうちに、初歩的な疑問はあっけなく氷解しました。

鎌倉十三仏霊場 五番札所 円応寺 ※堂内は撮影禁止。写真の転載不可。
※堂内は撮影禁止です。今回は特別に許可をいただいて撮影しております。

仏教の歩みをひもとくご住職の絶妙な話術

堂内に入ると閻魔様が待ちかまえている

堂内に入ると閻魔様が待ちかまえている

十王に取り囲まれ魂が品定めされる気分

十王に取り囲まれ魂が品定めされる気分

ご住職の講話は、2500年以上も昔の古代インドからスタートしました。当時のバラモン教やカースト制度のこと。釈迦の誕生、厳しい修行と悟りなどが、わかりやすく説明され、つい身を乗り出すほどの面白さ。釈迦の入滅後、仏教は弟子たちによって中国へ、日本へと伝えられたと話題が一段落したことろで、やおら黄色い袈裟を肩から外し、その下の黒い衣をハラリと脱ぎ、真っ白な衣装で話を再開されました。袈裟は、本来はボロ布をつなぎあわせたインド出家僧の着衣、黒衣は中国の道教の服で、最後の白衣は和服なのだそうです。つまり日本の僧は、仏教がたどった三国の服を重ね着していることをはじめて知りました。さらに和服にも手をかけたご住職は、真顔で「これを脱ぐと…」。厳粛な会場のあちこちで、押えきれない笑い声がこぼれました。時空を超えて異文化と融合し、仏教の本質は受け継ぎながらも姿形が変貌した仏様たち。どことなく違和感のあった中国由来の諸王たちに、ちょっぴり親しみがわいてきました。

苦しみさまよう魂をやさしく励ます宗教儀式

境内には茅葺きの鐘楼が馴染んでいる

境内には茅葺きの鐘楼が馴染んでいる

戦乱や大地震、疫病など、死と鼻を突き合わせていた鎌倉人は、死後の転生を真剣に気にかけていました。インドの輪廻思想では、亡者の供養を七目目ごとに七回行い、四十九日が過ぎると他の生を受けるとされています。中国に渡ると道教や儒教をとりいれた十王信仰に発展し、供養日が三回(百か日、一周忌、三回忌)増加。日本でさらに三回加えられ(七回忌、十三回忌、三十三回忌)、室町時代に十三仏信仰が成立し広く流布しました。人は死を迎えると冥界に行き、まず秦広王の前で生前の所業をとことん調べられ、七日目ごとに諸王があらゆる罪悪を審判。五七日(三十五日目)には、かの閻魔王が待ち構えているのです。悪行が多いと生まれ変わる場所が決まらず、延々と裁きがつづき魂は宙をさまようばかり。とはいえ、殺生は罪と言われても武士は戦場で敵を倒さねばならず、庶民は生きるために魚や鳥を捕らざるをえません。初七日、四十九日、一周忌などの追善供養は、ひとりぽっちで苦しむ死者を励ます、縁者の声援。鎌倉人の心を支えた十三仏信仰は、今も日本の暮らしにしっかりと根付いています。

閻魔様の目に浮かぶ背中合わせの恐怖とユーモア

円魔王の化身、慈愛に満ちた延命地蔵

円魔王の化身、慈愛に満ちた延命地蔵

講話の切れ目に見あげると閻魔王がこっちを睨んでいます。巨きな目玉のリアルなこと。この玉眼こそ鎌倉仏像の特徴なのだそうです。水晶をレンズ形に削って裏側から瞳を描き、和紙を当てて白目を表現しています。玉眼が流行した鎌倉時代の新興仏教僧たちは、武士や庶民にむかって平易な言葉で布教し、仏像自体も現実の人間に近づけたのです。円応寺の閻魔王は運慶の作と伝えられています。名仏師が頓死したとき閻魔様の前にひき出され「現世に戻してやるから俺の彫刻をつくれ」と無罪(?)放免。息を吹き返し喜んで彫ったことから「笑い閻魔」と親しまれてきました。そうそう、見るも恐ろしい閻魔王は、実は、無限の慈悲で人々を救う地蔵菩薩の化身。僧侶も庶民も、むやみに脅したり恐れおののくだけでなく、恐怖の背中に慈愛を裏打ちして、苦難の時代をユーモアたっぷりに生きていたのですね。今度の休日、怖くて優しい閻魔様に会いに円応寺に出かけてみませんか。

円応寺(えんのうじ)

住所

〒247-0062
鎌倉市山ノ内1543

電話番号

0467-25-1095

拝観時間

午前9時~午後4時(12月~2月は午後3時まで)

拝観料

200円

アクセス

北鎌倉駅より徒歩15分。京急バス「鎌倉駅行」で「建長寺」下車徒歩3分

JR北鎌倉駅より徒歩15分。またはJR鎌倉駅東口から江ノ電バス[2番のりば] 本郷台駅行き(江2802,2803)「建長寺」 下車徒歩3分

詳細

臨済宗建長寺派の新居山円応寺は、智覚禅師により建長2年(1250年)に創建。新居閻魔堂、十王堂とも呼ばれ、閻魔王を本尊として亡者が冥界において出合う「十王」を祀っています。当初は見越獄にあり、後に足利尊氏が由比ケ浜に移築、元禄16年(1703年)の大地震で現在の地に移転しました。

天薫堂おすすめ商品

「伽羅通信」では、鎌倉の自然やおすすめの名店から香り文化全般について情報発信しています。知りたいテーマや観光スポットなどがございましたら、お気軽にお問い合わせください。

このページの先頭へ