伽羅通信

鎌倉十三仏巡り 四番札所 寿福寺

鎌倉十三仏詣で早春の寿福寺を訪ねる

梅のつぼみがほころびはじめた二月初旬。縁あって巡拝する「古都鎌倉十三仏詣」の第一回目として、扇ガ谷の「寿福寺」を訪ねました。特別公開された仏殿ではじめて拝見した普賢菩薩(五官王)のこと。両脇に屹立した巨大な仁王像の秘められた出自など、鎌倉五山第三位の名刹で出会った仏様の様子をご紹介いたします。

本堂の高い天井に響く若き僧の「般若心経」

薄雪に包まれた境内

薄雪に包まれた境内

吐く息が白い早朝、老僧の案内で普段は拝観できない寿福寺仏殿に入りました。臨済宗の厳しい修行の雰囲気がただよい、ほのかな香と真冬の寒気とがあいまって身が引き締まります。正面を見上げると「興禅閣」の扁額。高さが282センチというご本尊「宝冠釈迦如来像」が巨きな眼で、土間に立つ巡拝者たちを見おろしています。脇には諸仏が、両脇にはなぜか仁王様が居並んでいます。若い僧が挨拶に立ち、寺や仏像、十三仏について解説し「般若心経」を唱えはじめました。「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時」…鍛えあげた僧の肉声は、天井の高い仏殿の大空間に満ち満ちて、しばし時を忘れました。

普賢菩薩に祈る七つの罪の消滅

丹誠こめられた庭木が美しい

丹誠こめられた庭木が美しい

十三仏信仰は、仏教に道教や儒教などを取り入れて室町時代に成立した日本独自の民間信仰です。人が亡くなると十三の仏が姿をかえた十三王によって生前の罪が裁かれ、悪行があれば地獄や餓鬼道に落とされます。しかし十三仏を参拝すれば、亡き人の追善になり、その善行の功徳で自分自身が死んだ後も、十三王のきびしい審判から救済され、罪が消滅といわれています。四番札所・寿福寺の普賢菩薩(五官王)は、亡者の七罪(殺生、偸盗 、邪淫、妄語、綺語、悪口、両舌)を裁く仏様。般若心経を耳にしながら手を合わせたものの「これで罪が消えるのかな?」・・・。そんな不純な思いを見抜かれたのか、ご本尊と目が合ってドキリとしました。短い時間では罪業消滅は叶わないものの、生と死を真剣に見つめる貴重な体験でした。

凄まじい破壊の嵐から救い出された仁王様

裏手に北条政子と伝わる墓がある

裏手に北条政子と伝わる墓がある

僧によると仁王像はもともとは八幡宮にあったそうです。明治3年、日本全国を吹き荒れた廃仏棄釈の嵐は凄まじく、神社の仏教施設や仏像、教典は破壊し尽くされました。鎌倉時代に創建され、徳川幕府が手厚く保護してきた「鶴岡八幡宮寺(正式名称)」も例外ではなく、大塔や薬師堂、仁王堂などがことごとく棄却されたのです。武家から政権を奪い返した王朝政権による仏教受難の渦中で、いったい誰が仁王像を運び出し、罪を恐れず寿福寺にかくまったのか?そこまで考えたとき、はっと気付きました。そうか!ここは、夫・頼朝薨去(1299)の翌年に北条政子が建立した寺だったのです。開山は、鎌倉武士たちに強く支持された臨済宗の開祖・栄西禅師だったのです。武家の都・鎌倉を産み.育み、守った尼将軍の禅寺には、歳月をこえてなお時の権力に屈しない、東国武士の気骨が息づいていたのですね。

さて、次回は六番札所、弥勒菩薩(変成王)をまつる「浄智寺」の予定です。

寿福寺

住所

〒248-0011
神奈川県鎌倉市扇が谷1-17-7

電話番号

0467-22-6607

営業時間

境内自由

アクセス

鎌倉駅(JR東日本・江ノ島電鉄)西口下車 徒歩10分

詳細

鎌倉十三仏を祭っている寺の一つで、鎌倉五山第三位。
頼朝や子供達の菩提を弔うために、北条政子、源頼家が建立した。
開山は日本での臨済宗の開祖、栄西。
本堂裏のやぐらには、源実朝と北条政子の墓がある。

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